2006/07/15

康祐の日記


2006年7月14日(金)
ラオスを終えて
ラオスという国を全く知らない状態でラオスに入国した。タイ側チェンコーンからラオスのフエサイへの入国は実にあっけなく済み、そこから3週間ほどの滞在が始まったのだ。
ラオスの古都ルアンパバーンでの生活は夢のように過ぎ、ジャール平原の在るポーンサワンではラオスでの戦争を知った。それは自ずとインドシナにおける日本軍の侵攻という過去も知る必要を感じた。首都ビエンチャンでは、美味しい餃子を堪能しながら、発展していこうとするラオスを垣間見た。そしてデット島では、まだまだラオスの原風景とも呼べる厳しく美しい自然と共に生きる人々の姿を見た。
終始穏やかに流れるメコンがカンボジアに入る直前に突如荒々しい姿を見せる。あたかもそれは、優しく人懐こいラオス人の根底にある力強さを表しているかのようだ。
ラオスへ入国した当初、北部のみの観光で中国の雲南省へ抜ける予定だった。しかしラオスの人々にふれ、そのまま南下する決断をした。ラオスに魅せられたのである。
ラオス人は山の民と呼ばれるように山深い土地の限られた場所で生活している。消費社会で育った僕には決して豊かな生活だと思えない。しかしだからこそ在る豊かさをそこに感じずにはいられない。マキシマムの果てのミニマムを彼らは知って選ばないのでは決してない。だからこそ、傲慢にも僕はこのままのラオスでいて欲しいと願ってしまう。
ビエンチャンへ向かう山道で、車酔いに苦しんでしまうラオスの人々がとても愛しい。