2006/07/03

インドシナ戦争の傷跡1

ジャール平原は遺跡自体も見ものなのですが、その周囲の風景もとてもすばらしい所です。遠くまで広がる緑豊かな丘や水田がとても美しいです。そんなのどかな景色の中に所々大きな窪みが出来ていました。それはすべて爆弾の落とされた跡と聞き、とてもショックを受けました。ベトナム戦争時代に北部ベトナム軍が南部に侵攻するためにラオスを通り抜けていた(ホーチミンルート)ため、それを阻止する目的で沢山の爆弾や地雷が使われたとのこと。インドシナ戦争で使われた爆弾の4分の1がラオスで使われていたとのことです。何も罪の無い多くの非戦闘員も被害に遭ったそうです。爆発で壊された遺跡も多くありました。
遺跡を歩いている時にも印のある限られた範囲しか安全が保障されていませんでした。でもラオスの人々はその範囲外で農作業を行っています。そうしなければ生活が成り立たないからです。そのため未だに不発弾による死傷者が出ているとのことです。私は恥ずかしながらこの地に来るまでこの事実を良く知りませんでした。そしてこの戦争についてまだまだ知らなければならないことが沢山あると思いました。(美穂)

インドシナ戦争について考えるようになったのは、インドシナを歩いてからの事。自ずとそれは時を遡って大東亜共栄圏を題目にこの地に介入した日本の歴史も合わせて考える事へも移行していく。とにかく僕は今の時点でかの戦争について語れる程ものを知らない。その後いくつかの戦争がインドシナ半島に起こり、その傷跡が依然として各地に点在しているのは事実だ。ジャール平原に処理しきれずに残っている地雷・不発弾もそのひとつである。その撤去は未だに続いている。完全な撤去を終えるには途方も無い年月が必要であろう。
アメリカ軍のラオスでの戦争介入は当初非公式であった。ベトナム戦争での介入は世界的に知れ渡っていたが、ラオスでのそれは知らされていなかった。そして多くのラオス人そしてモン族がこの戦争で傷を負った。
この戦争で使われたクラスターボムは凶悪な兵器である。戦闘機より降下されたこの爆弾は地上へ落ちるまでに2度拡散し、広範囲にダメージを与える。その仕掛けの巧妙さには製作者の悪意を感じずにはいられない。むしろ仕掛けを楽しんでいる感じさえする。ベトナムでのナパーム弾もしかり。
“罪の無い人々”という者はあるのだろうか。戦争を招き入れた国民に罪が無いと言い切れない。しかし人を傷つける気も無い人々が無差別に殺されなければならない理不尽は許されるべきではないと僕ちゃんは思う。(康祐)