2006/08/05

Brand New Wave Upper Ground


<インドシナ半島の旅を終えて(対談)>
インドシナ半島を一通り、まあ大雑把に回った訳ですがどうですか?(康祐)
漠然としてるなぁ・・・。(美穂)
確かに。まあ、どうって言われてもね。(康祐)
広く感じたけど、地図で見ると本当に狭い範囲を移動してただけなんだなと・・・。でも、その狭い範囲にあるそれぞれの国が違う雰囲気を持っているのが不思議。(美穂)
そうね。上からこの半島を眺めたような感じかな。本当に4ヶ月もかけて、というかたった4ヶ月と言うべきかは分からないけど、上っ面を撫でたくらいの感じだね。(康祐)
4ヶ月じゃ見たりないよね。(美穂)
ええ。(康祐)
初めて陸路で国境を越えたというのは良い経験だった。国境を越えただけでまったく変わる。雰囲気と言うか・・・。たった一本の線でガラっと変わる。国とか国家というものを意識させられた。日本にいては分からない感覚だった。(美穂)
そうね。あと距離感かなぁ。あの国までバスで何時間くらいとか、自分の移動能力がわかってくる。(康祐)
隣の国までバスでというのが面白い。(美穂)
あとメシね。(康祐)
お国柄が出るね。例えばベトナムとかラオスとかカンボジアとか、同じフランスパンのある国でも、ぜんぜん違うサンドイッチになってる。(美穂)
やっぱりベトナムのバインミーティットが一番美味しかったなぁ。今まわった中ではタイ、ベトナムの料理は本当に美味しかったなぁ・・・。ミャンマーで食べたイタリアンも相当美味しかったけど(笑)。(康祐)
ミャンマー料理は、一般的には評判は良くなかったけど、結構美味しかった。ミャンマーカレーとかモヒンガーとか、私は好きだなぁ。(美穂)
同感。油っこいけど、味付けが日本食に近いというか・・・。まあ、どの国行っても僕らは食では不自由しなかったね。やっぱり、食べることは旅の醍醐味の一つだもんね。(康祐)
あとは、この半島で感じたのはインドシナ戦争の事かなぁ・・・。(美穂)
んー。ベトナム戦争という名前くらいは知ってたけどね。実際、こっちに来て聞いたり調べたりしていくうちに、自分が何も知らなかった事に気が付いた。(康祐)
その国で、色んな物を見たり聞いたり、あとはそのインドシナ戦争にまつわる本を手に入れて、その地で読めたことは良かった。日本にいてその地を知らないで読んでたのとは距離感が違うというか、もっと身近な事として感じ取れた。(美穂)
ええ。ラオスでのシークレットウォーについてもね。ジャール平原は、遺跡もすごかったけど、その戦争を知った事が衝撃的だったね。スーサットさんのホテルでビデオ見せてもらったりね。(康祐)
あんなのどかな所にいまだに爆撃の痕が残っているのは信じがたい。でも、その爆撃の跡のクレーターを魚の養殖池に利用してたりして、人々の逞しさみたいなものを感じ取れて良かった。(美穂)
そうね。そしてやっぱり第二次世界大戦の日本軍の侵攻についても考えさせられた。ミャンマーにも沢山、日本兵の慰霊塔があったね。戦争の是非については、僕がどうこう言える事ではないけれど・・・。やっぱり多くの人々が傷ついたり、亡くなったりしてしまうのは悲しいことだと思う。ただ、多くの人々の犠牲の歴史の上に現在の僕らがあるということは忘れてはいけないんだなと思う。(康祐)
いずれにしても今回のインドシナ半島の旅は本当にインドシナの事を知る入口というか、手がかりになる旅だったなと・・・。もっともっと知りたい、見たい事がいっぱい出てきたのでそれはまた次の機会にということで。(美穂)
はい。そうだね。なんか宿題を山積みにされたような・・・。(康祐)
増えたね。日本を出たときよりも。もっと深く知るためには予習も必要だし・・・。(美穂)
という事で、第一期終了という事にしましょうか。(康祐)
そうですなぁ。(美穂)
一応、表題は“JUDY AND MARY”の詩のタイトル(数馬くんが歌ってたね)詩の内容のように追い風を辿って行こうと思ってます。今日はお忙しい中ありがとうございました。(康祐)
ありがとうございました。(美穂)

2006年8月5日 カオサン通りにて